「そば切り」について考える。

今日は、「そば切り」について考えてみました。

発祥には様々な説があって、よくわかっていません。

甲州(山梨県)、信州(長野県)で始まったという説、江戸で始まったという説や、いや実は福岡県だった、という説もあります。

ちなみに、「蕎麦屋」が生まれたのは豊臣秀吉の大阪城築城の頃で、大阪の「砂場」というお店が蕎麦屋の発祥らしいです。

1600年代、十七世紀(江戸時代)以降になると、そば切りが文献に登場するようになります。

江戸初期に慈性さんという住職が書いた「慈性日記」という本の中で「江戸の常明寺(じょうみょうじ)という寺(あったのかなかったのかわからない幻の寺)でソハキリ振舞」とあるそうです。

長野県木曽町の定勝寺(じょうしょうじ)という寺に残っている「番匠作事日記」という本の中に、「振舞ソハキリ 金永」という記録が残っていることが見つかり、今のところ、これが一番古い記録のようです。

昔は、杵と臼で製粉して、そばがきのようにして食べることが多かったそうですが、江戸時代になり石臼が普及するにつれて、そば切りの形になって普及していったと考えられています。

その後、江戸中期になると、日新舎友蕎子(にっしんしゃゆうきょうし)という謎の人物の「蕎麦全書」という書物などに、つなぎを入れた二八そばの記述が出てきます。

このころに江戸のそば文化が開花しました。

結局のところそば切りの発祥はわかりませんが、うどんや素麺のほうが”麺”として古くから食されていたことを考えると、そばがうどんの打ち方を真似るようになってもおかしくはありません。

実際にそば打ちの方法も、昔ながらの一本棒を使うやり方は、うどんの打ち方に似ている気がします。

現在は、効率を考えて発達してきた、三本棒を使った打ち方が主流になっています。

様々な地域に様々な製粉方法やそばの食べ方、打ち方があるように、郷土特有のそば切りがあったのではないかと思っています。

「そばをうどんみたいに麺にしたらうまそうだ」なんて考える人がいたのかもしれません。

最後に、そばの歴史のことをブログに書いていて、母から「知識が浅い」と言われてしまいました。

ネットで検索すれば出てくるような知識で、ブログに書いていても、軽くみられるだけ。

という意味みたいです。

痛いところを突かれました。

悔しいですが、全くその通りです。

ネットで検索して、何冊か本を読んだくらいで、わかった気になってはいけません。

来年は、もっといろいろな本を読んで知識を深めて、私なりの言葉でわかりやすく伝えたいと思っています。

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